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分かってはいるけれど・・・

「中居正広の終活ってなんだ」を観た。
去年も考えさせられたし、今年も、こういう機会を設けてくれてフジテレビさんには感謝だ。
中居くんのライフワークになればいいと思う。
中居くんのパパは幸せだったんだと思えた。
お父さん子の中居くんは、父上とお別れするのは耐え難いことだったと思うのに、とても冷静に、父親にとって何がいいかを考えて行動していたのは、ほんと、頭が下がる。
だからこそ、笑って話すこともできるのだと思う。

近しい人の死は、たくさんのプレゼントを置いて行ってくれる。
それを切っ掛けに、たくさんのことが見えてくるからだ。
先に行く人は、それが「課題」だったかのように、あっさりと旅立ってしまう。
多くの人に贈るメッセージを残して。
愛する人の死を目の前にしたとき、遺ったものは、そこから何かをくみ取れたら死は無駄にはならないと思う。
気づかせてくれることは、溢れるほどにある。
中居くんは、お父さんからたくさんのメッセージを受け取って、この番組を残すことができている。
中居くん、逝くときに誰かに何かの言葉を残せるような相手を見つけてくださいと、心から思ったよ。

私は、母を思いがけなく亡くした。
ずっと風邪のような症状が続いていて、それがまさか間質性肺炎だとは思ってもいなかった。
まだ、76才だったよ。
大学病院のICUに入って三週間、その日が来た。
呼吸が出来ないため、のどに穴を開けて呼吸器の管を入れていた。
挿管しますって、ドクターが言ったとき、それが何を意味するのか知らなかった。
十分な説明はなかった。
知識も増えた今なら、あれこれ質問もしただろうけれど。
母と私の間には、少しだけ溝があった。
いつか、話したいと思うことがあって、お互い生きている間になんとかしようと思っていた。
なのに、突然のことに、話したかったことも話せず願いも聞いてあげられず逝ってしまった。
ある日、行ってくるねと家を出て、そのまま逝ってしまったのだ。
それから数年は、ときどきだけど夢に出てきた。
退院して、当たり前のように家にいる母の夢だった。
生きていたら、今年91才である。
私には、なんとなくわかっていた。
母が、もしかして早くに逝くだろうことを・・・だから、具合が悪いというたびにドキドキしていた。
予感・・・というヤツで、私は、確信に近い予感がすることがある、たま~にだけど。
それなのに、話をしなかったのだ。
後悔ばかりが残った。
後悔しないように、からまった関係は生きている間に修復しておくべきだと思う。

その5年後に妹を亡くした。53才だった。
突然の宣告だった。
ずっと、腰が痛いとか肋間神経痛だとか言っていた。
検査しても何も出ない。
ある日、痛くて立てなくなった。
整形外科で、あらためて検査しても何も出ない。
ある日、高校生だった息子をかかりつけ医に連れて行った。
そのころは、たまに高熱がでていたので、ついでに診てもらった。
風邪ではない高熱は、何かのサインだとは知っていた。
肺がん、しかも見つかりにくいタイプの・・・自覚症状もない、喫煙・非喫煙も関係ないタイプの。
すでに、骨に転移していたから、あちこちが痛かったのだ。
すぐに入院。
突然のことだし、健康には自信があった彼女は、深く深く傷つき受け入れられず苦しんだ。
妹は、私が知っている限り、苦労という苦労というものをしたことがない。
自分に、そんな不幸が降って来るなんて、おそらく想像さえしたことがなく、彼女の未来は輝いていた。
だからこそ、ショックは大きかったのだと思う。
私のように、しょっちゅうボーダーラインのところを行ったり来たりしたことがない。
だからこそ過信していたのだけど。
精神状態が不安定になり、自宅で緩和ケアを受けるとことになる。
テレビでやっていたみたいに、訪問ドクターとナースが献身的に診てくださる。
24時間体制のナースは、場合によっては夜中でも駆けつけてくれる。
子供たちと夫の看護があっての自宅での終末だったと思う。
末っ子の高校生の男の子が一番こたえたみたいだが、母の死は、確実に彼を大人にした。
お姉ちゃん二人の人生観も大きく変わり、妹を愛してくれたたくさんのお友達にも、検診の大切さを身をもって教えてくれた。
その後、彼女を覚えている人は、自分の身体を大切にしていてくれるだろうと思う。

相次いで家族を亡くした父を、誰もが一番気にしてくれた。
なぜか、私も父も、達観しているところがある。
運命とか、宿命とか、生きて死すことを自然の流れと受け入れているところがある。
しかし、その死生観も、信心深かった母の影響であり、妹の早すぎた死の意味を考えるところから生まれたと思う。
仕方がないことなのだ。
ただ、どうやってそれを迎えるか。
その時が来たら、何を一番に位置づけるだろうか。
中居くんじゃないけど、まだ実感がわかない。
これだけの経験をしていて、いつでもその時が来てもおかしくない年齢なのに。
そういうものである。
ただ、子供のいない私の最期の看取りと整理は、姪がしてくれると思うので、エンディングノートにあれこれを記しておこうと思っている。
大事なものは一つ所にまとめておき、余計なものは捨てる。
引越で、だいぶ生前整理はできたけど、まだまだでノートもまだ買ってはいない(;д;)

テレビで言ってた「デジタル遺品」は考えていなかった。
アカウントとかパスワードとか記しておかないとね・・・。
分かっちゃいるけど・・・である。

それに、猫さんはどうする?
私には、一番の気がかりである。
父より先ってこともあるよね。
とりあえず、里親になってくれるって人は確保してあるものの・・・。
人って、突然、ぽっくりは絶対にダメだよ。
本人は楽かもしれないけど、遺族の心の痛みと、その後の事務的ないろいろは、大変なことになる。
訪問看護を受けていない人が、自宅で逝ってしまったら検視が入るってことも、かなり傷つくそうだし。
だめだめ、自宅での突然死・・・でも、大いにあり得るのだ・・・。

エンディングノート、少しずつでも書いていこう。
とりあえず、それが大事かな。

そういえば、妹の手帳には、知らせてほしい人と知らせないでほしい人のチェックがしてあった。
告知から一年。
どんな思いでその時を刻んだのだろうと考えるが想像もできない。
達観するには若すぎたのだと思う。

一日、一日が大事だ。
わかってはいるけど、その大事さを忘れてしまう日常である。
番組は、そのことを思い出させてくれる。


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Re: No title

みぃさん、遅くなりました!

みぃさん、ケアマネさんだったのですね。
前に聞いたかもしれないですね。
いつもお疲れさまです。
包括支援センターの方には、本当にお世話になりました。
手厚い介護を目指すには、高齢者に人手が付いていきませんよね。
悩んでいらっしゃるお気持ち、よくわかります。
私は介護職ではなかったのですが、有料老人ホームの事務所で生活相談員をしていました。
矛盾することと対峙するときは辛いですよね。

妹は、50代だったけど終末期ということで介護保険が適用になりました。
高齢者でなくても、保険が必要になる方も増えているでしょうね。
十分な計画がついていかない、認められるまでに時間がかかり過ぎて、その前に亡くなってしまうのは辛いですよね。
よくわかります。
でも、ケアマネさんの存在は、家族にとっても大変心強いのです。
どれだけ救われたかしれません。
今できることを真摯に取り組んでいただけたら・・と思います。
応援しています!!
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プロフィール

あられちゃん

Author:あられちゃん
お仕事をリタイアしたら、SMAP&キスマイくんのことを語りたくて始めましたブログ初心者です。
神奈川在住の、かなりのおばちゃんです。
いつの頃からかSMAPファン。
意識したのは「ロンバケ」の拓哉くんあたりから。
5人が大好きだけど、拓哉くんイチオシ。
キスマイの藤ヶ谷くんをマークしたのは2009年くらい。
Mステに出ていました。
以来、気にしていただけでしたが2011年Marching Jで、SMAPの番組に出たときから、応援体制に。

SMAP1解散は衝撃的でしたが、そもそも立ち直りが早いワタクシ。
過去は追いません。
執着心もない、ある意味、淡泊なワタシ。
書きたいことだけを書いていくブログに変更しました。

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